| 1961年 |
愛媛県にて始めてこの世に生を受ける |
| 1979年頃 |
初めてオーディションを受け合格通知を受け取る。「宝映テレビタレントセンター」
初めて紀伊国屋ホールで、つかこうへい事務所「熱海殺人事件」を見て、カルチャーショックを受ける |
| 1980年頃 |
初めて演劇に触れ、劇団青踏(せいとう)にて初舞台を踏む 代表:古川登志夫
声優という職業があることを初めて知る。 |
| 1981年頃 |
初めて舞台で主役を演じる 劇団青踏(せいとう)第?回公演「鳥影」決めセリフ「風といっしょになれるからさ」
その際 古川氏、鈴置洋孝氏の間に座ってドサクサ紛れに写り込み、初めてアニメ雑誌に掲載される。
初めてTVアニメ収録をスタジオの見学する「Dr.スランプ アラレちゃん」 |
| 1982年頃 |
初めて声優として報酬を得る 「宇宙船艦ヤマト 完結編」 兵士など |
| 1983年頃 |
初めて大舞台を経験する(ヤクルトホール)と同時に初めてファンクラブが出来て、花輪が届く
またこの公演で、初めてチーフ制作者も経験する。 |
| 1984年頃 |
初めて声優としてアニメレギュラーを得る 「重戦機 エルガイム」アロン役
また初めて、地方公演(名古屋)を経験する。
初めてナレーションを職業にしたいと言う仲間と出会う(立木文彦) |
| 1985年頃 |
千葉繁氏を中心としたパフォーマンス集団「バーストマン」に始めて旗揚げから参加する。
押井守監督と初めて出会い「紅い眼がね」に出演する |
| 1986年頃 |
初めてプロダクションに所属する。
同時に初めてテレビに出演し、ドアップで放送される。
初めて二人芝居でお金を得る(錦糸町)
初めて、「朗読の語り」を習う(加藤精三氏) 人形劇団プーク |
| 1987年頃 |
初めてNHK大河ドラマに出演する。「独眼流政宗」
無謀にも、初めて脚本・演出・主演・プロデュースの芝居をやる(六本木) |
| 1988年頃 |
初めてNHK大河ドラマにて長いセリフを喋るが、NG15回だした
初めてベットシーンを番組で演じる。
初めてバーストマン、有名ライブステージで唄う。 |
| 1989年頃 |
ロケに出て初めてスチール撮りの仕事をやりモデルのような気分だった。(琵琶湖)
初めてNHKでボイスオーバーの経験をする
初めて1ヶ月の拘束で福山まで行きロケをするが、ズラを被ったまま何もしないで日々が過ぎた
初めて憧れのヒーローもの番組に出たが、なぜか、いじめにあった。
初めてのチンピラ役で田村正和さんに絡み、オーラの大きさでびびった。 |
| 1990年頃 |
初めて民放テレビにてレギュラーを得る「卒業」
NHK朝ドラのオーディションの相手役をやり、初めて取っ払いでギャラを受け取る
初めて映画でセリフをしゃべり緊張する。後に僕の最終舞台でお世話になる 瀬川監督との出会い |
| 1991年頃 |
初めてCDドラマの存在を知り、千葉繁氏の演出で出演する。
初めて役者経験を生かしたアルバイトで稼ぐ(披露宴司会MC)
今頃になって初めて、声優業復活をかけボイスサンプルを作る。 |
| 1992年頃 |
初めてPC版ゲームの出演で報酬を得る |
| 1993年頃 |
初めてPC版ゲームのキャスティングで報酬を得る
初めて俳優と音響制作の2足のわらじを履くため、芸名をつける。「ひのもとはじめ」 名付け親は千葉繁さん |
| 1994年頃 |
初めてのラジオドラマを経験の主役が優香ちゃんで感激した。 |
| 1995年頃 |
初めて講師を体験する。
今をときめく、仲間由紀恵さんのセーラー服姿を初めてみた。深夜アニメ番組の収録で出会う。 |
| 1996年頃 |
初めて世界の丹波哲郎氏と舞台で競演する。
バーストマン公演「奥様は化け猫」三百人劇場 瀬川昌治 監督 |
| 1997年頃 |
千葉氏と離れ(カメレオンハウス)、初めて役者を捨てる決心をし制作者として一念発起する。 |
| 1998年頃 |
作品化を信じて、初めて雑誌の企画ページに関わる。(ENIX ガンガン)初めての取材をする。(富士急ハイランド)など |
| 1999年頃 |
初めて自分の企画でプロデュースする アスキー(後にエンターブレインに移行)「テックウィン誌」 |